憲法記念日に思う
安倍総理は戦争がしたいわけではない。
太平洋戦争であれ程の敗北をした日本人が、
戦争をしたいはずもない。
戦争を知らない人間は戦争を知らないから
憲法9条を改正したり解釈を変更したら
戦争する可能性がある。
そんなわけはない。
古代から中世にかけての戦争は、
領土争い覇権争いが目的だったであろう。
近現代の日本がかかわった戦争も
侵略戦争と思われても仕方ないものもあるが、
根底は他国からの脅威に脅かされないための戦争だった。
しかし現代及び将来において
日本人が主体となって 戦争することはありえない。
それだけ国内でも抑止力のある成熟した国家だ。
今回の憲法9条改正や解釈の変更で
集団的自衛権の行使について言及されている。
密接に関係のある他国が攻められたとき
日本も協力して防衛を行うことである。
「他国が攻められているのに日本人は黙って見過ごすのか」
という観点で解釈変更擁護派は主張する。
それだけではない。
集団的自衛権を持ってそういう姿勢を見せておかないと
日本が他国に攻められたときにどの国も助けてはくれない。
日本と密接に関連する国は一枚岩であるということが
他国からの脅威に対する抑止力になるのである。
私自身の想いは憲法9条の当初の3つの原理原則のとおり
戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認を
貫ける国家であって欲しい。
しかし現状では近隣諸国の脅威は凄まじい。
今、安倍総理が憲法9条の3つの原則を具体化し
完全無防備な状況になったら、
他国もそれに同調して争いがなくなるのか。
それどころかこれ幸いと攻めてくるのではないか。
そんな人種も近くにいそうだ。
こう書きながらも集団的自衛権を持つか持たないべきか
結論が出てこないが、護憲派も改憲派も平和でありたいことは
同じはずであって誰も戦争をしたいわけではない。
平和であるための方法や考え方が違うのだ。
私は基本的には護憲派だと思うのだが、
改憲派の人たちに対して「改憲したら将来戦争になる」と
反論するようなタイプの護憲派の考えには賛同できない。
考えが飛躍しすぎて、安倍政権を単に反対したいだけのように見える。
憲法とは本当に奥が深い。
年に1度くらいじっくり考えてみた。