ジレンマ脱出
やっと今日からスーツも冬用に衣替え。
ズボンがぶかぶかです。ベルトを締め付けると下半身が変なラインになっております。
慢性腎不全が分かってから早くも半年経ち、その間タンパク制限や塩分制限で体重が10キロ落ちましたが、運動で痩せたわけではないのでやはり体力も激落ちです。
さらに今年の夏も暑くて夏バテもひどかったし、理不尽なことが立て続けにあったりで精神的にも気が滅入っておりました。
そんな状態を脱出したいと思いアレコレ試行錯誤。「病は気から」という諺があるように、気力を取戻したいと思い、その為にはやはり運動して体力を付けることかな、と思ったりするものの、気力がないので運動も続かない。
まさに「鶏が先か、卵が先か」の因果性のジレンマというやつにはまってしまったわけです。
先週末、そんな悩みをパッと諭されました。
前にもこのブログに掲載しましたとおり、25日は私が所属する大分キャピタルロータリークラブのイベントで、26日は「まほろば塾」として、世界遺産奈良薬師寺の大谷徹奘和尚の法話会があり、両日ともスタッフとしてお手伝いさせていただきました。
スタッフだったので法話自体はあまりお聴きすることができませんでしたが、終わったあとに色紙を一枚書いてくださいました。
色紙の言葉はこちらが決めてよいということでしたので、最近気力のない私は、「気」という一文字をお願いしました。
気は「メ」と「米」どっちがいい?と聞かれて、なんのことかわからず、「お任せします」とおねがいしましたところ、ど迫力の「氣」と書いていただきました。これまで特に意識しませんでしたが、「米」と書くと、気力は腹の底から湧いてくるものなんだなとなんとなく思いますね。
そして、その「氣」の横に小さく、「氣は心から育つもの」と書いてくださいました。
その時、私はジレンマから脱出できました。
気力を付けるために運動して体力をつける、でも気力がないので運動できない。そうではなくて、その前に「心」を強く持たないといけないんだと。お話のなかでも、自分にとって嫌なこと、理不尽なことがあっても、自分がすることに「腹をくくっていれば立ち向かえるんだ」と仰っていただき、全ては自分の「心」が決めていることなんだなと思うとグッと気力が湧いてきました。
「病は気から」、「気は心から」。心を強くして病気や理不尽なことに腹をくくって立ち向かおうと決意した週末でした。
これも「よっぽどの縁」なんでしょうね~。